玉兎
雑文雑ネタ集
白牡丹の土方さん☆みぃはぁ★すくらんぶる 

その50 9度目の函館も盛り沢山 その2
2005年11月26日 台場山、弁天台場近くの厳島神社、一本栗神社など


 朝7時起床。雨は夜のうちに降ったようで、アスファルトの地面が濡れていた。しかし、空模様は引き続き悪く、今にもまた降ってきそうだ。

吉岡食堂のバフンウニ まずは恒例、朝市で朝ご飯。吉岡食堂でバフンウニを注文したら、おばちゃんが「寒いから中で食べたら」と声をかけてくれた。ありがたく、店内のカウンターでバフンウニを口にする……コクのある濃いウニの味が口の中に広がる。うーん、旬の味だ。あっという間に食い尽くしてしまった(爆)。

きくよ食堂、マイフェイバリット・イカソーメン定食 次も、いつもの「きくよ食堂」。新メニューにイカソーメンや鮭ハラス・ホッケなど焼き魚の「ミニ」があったので、イカソーメン定食にミニの鮭ハラス焼きをつけてもらう。いつもながら、コリコリのイカソーメンが美味しい。普段はほとんどイカを食べないのだが、函館のイカソーメンは好物なのだ。そして、鮭ハラス焼きも、ミニの割にはけっこう身厚で、薄塩で脂が乗っていて、美味しい。カリカリに焼けた皮も平らげる。ご馳走様でした。

 函館駅で一息ついたら、雨が降り出した……うわー、今日の午前中は遠出したいのだが(汗)。携帯をチェックしたらキトラさんから伝言が入っていたので掛け直し、すでに駅前に来ていたキトラさんと落ち合った。今回も、お世話になります。

 けっこう強い雨。できれば二股口に行って、雪の積もる直前で下草が枯れている今の季節に台場山に登りたかった。「一応、行ってみましょうか」と、車を出してもらった。

 函館の景気は相変わらず良くないともいうけど、大門横町が盛況だったり、明るいニュースもある、と、キトラさんは函館の近況をいろいろ教えてくれる。今井丸井と棒二森屋の存続が決まったとか、閉店していた西武百貨店の後にボウリング場やパチスロなどアミューズメント施設が開店するとか、2007年に大量に出現する退職者の家族向けに北海道への移住を呼びかける北海道の取り組みで函館が頑張っているとか。函館で生まれ育った地元の人は函館の良さに気付いていないけど、外から移住してきた自分は多くの人に函館の良さを知って欲しいと思うと、いつもながらキトラさんの語り口は淡々としているけど気持ちは熱い。


台場山に登る


 あれこれ話しているうちに、大野町を過ぎて、山あいを通り抜け、二股口についた。ラッキー、雨は水たまりをつくるほどでもなく上がっていた。じゃあ登ってみましょうか、と、すでに台場山を登ったことのあるキトラさんに先導されて、台場山の初登頂に挑戦。

 散り積もった厚い枯れ葉の表面に、初雪の名残りが少し凍り付いていたのが融けかかっていて、足下が滑りやすくなっている。道幅は、人ひとり通るのがやっと。ところどころ、ぬかるんでいるところもある。勾配はきつくないけど、幹と幹の間に張られたロープをつかんでぬかるみを避けるところもある。上り坂が苦手な白牡丹の足でおおよそ10分、多少息を切らしながら登る……しかし、今回はこの登山のために(笑)約1ヶ月前からほぼ毎日30分間のウォーキングをしていたおかげで、何とか体力が続いた。当時の皆さんは身一つでなく、銃をかついだり弾薬など持ち運んだりしたわけで、土方さんも酒樽をかついだりしたわけで(山の下から酒樽をかついで来たのは土方さんではなかろうが^_^;)、皆さん頑健だなぁと改めて感じる。

 遂に「江差山道通行の難所と二股古戦場跡」という説明板に辿り着く……やったー。とうとう二股古戦場まで来ちゃったんだ。

 2年前に初めて函館旅行をした時には、路線バスで「二股古戦場入り口」の案内板の前を通り過ぎるだけでも感激だったのに、遂に上まで来られた。ありがとう、キトラさん。

 そして、古戦場の塹壕跡も、当時のままに残っている。この塹壕の縁から下の下二股川沿いの道に向けて、銃で撃ちまくったんだろう。そりゃ下を通る新政府軍にはたまったもんじゃないなぁ……。

 台場山の写真を9ショットご紹介。これで登山気分を少し味わっていただけるだろうか。

枯れ葉の上に霜 初雪が残る登山口付近 クマザサの繁る山道
方向板 説明板 塹壕跡
塹壕の背後 塹壕から下二股川を見下ろす 塹壕の背後その2


 季節柄のせいもあるかも知れないが、空気が澄んでいた。こんな静かな山の中で、2回にわたって、激しい銃撃戦があったんだな……そして、土方さんは戦いの合間に隊士たちに自ら酒をふるまったんだな。蝦夷地全体の戦況がどうかも知っていただろうし、旧幕府軍の先は長くないと知っていただろうけど、会心の戦いをやりきった土方さんの心の中は清々しかったんじゃないだろうかという気がした。

 『島田魁日記』に記された土方さんの言葉については素晴らしい口語訳がある。『KAWADE夢ムック 土方歳三 新選組の組織者』に収められた、「土方歳三論ノート」野口武彦の最後のページより引用。
「よくやってるぞ。大したもんだ。官軍は武士《さむれえ》だし、数も多い。おめえらはただの歩兵だがひけ(#「ひけ」に傍点)は取っていねえ。長岡じゃあ五日五夜、ぶっ通しでがんばったよな。あんなにつれえ(#「つれえ」に傍点)戦はなかったじゃねえか。今日のなんざあ、おめえらには子どもの遊びみてえなものよ。もう一回景気をつけてやる。一杯《いっぺえ》だけだぞ。酔っ払って暴れちゃならねえぞ」
 白牡丹がイメージする土方さんの喋り口にどんぴしゃりなので、この口語訳で脳内リフレイン……。

「この辺に、薬莢とか、落ちてないかなぁ」……まぁ、落ちていたとしてもとっくに拾われてしまっているだろうが、つい言ってしまった。キトラさん、苦笑。

「この木、何ていうんでしょうね」……少し傾いで立っている、細い幹に白い斑点がある木。この木は、土方さんの戦いを見ていたのだろうか。

 下りは、上りより慎重に……落ち葉で足が滑らないように、カニ歩きになったり後ろ足になったり、ぬかるみが少ない道端の方を着地点に選んだり、そろそろと下りた。その慎重さが幸いしたか、上り下りとも一度も足が滑らなかったのは、昔から転びやすい(汗)白牡丹にしては上出来。

 車に戻って少し走ったら、また雨が降り出した(爆)。雨女の白牡丹にしては、台場山に登り下りする間だけは止んでいたのは上出来上出来^_^;。


弁天台場の傍にあった厳島神社は、もっと広かったそうだ


 白牡丹の希望で、二股から函館市内に入ってずずーっと弁天台場の近くまで車を走らせてもらった。拙サイトの掲示板にお書き込みいただいている、も〜さんが、弁天台場の近くで佐野専左衛門という人のお宅に、土方さんが滞在していたと情報をくれたので。さらに、明治9年当時の地図も送ってくれていた。

 キトラさんと今の地図を見比べて、鍵は厳島神社かなーとふたりで結論。厳島神社はどちらの地図にもあるのだが、安政年間と慶応年間に移転したという情報もあり、明治9年当時の地図にある厳島神社が土方さんのいた時代に今の地に建っていたかどうかが微妙だったからだ。それは、明治9年当時の位置と同じかどうかわからない。

厳島神社 車を下りて、厳島神社の説明板を改めて読む。安政年間に移転したことと、現在地には慶応2年に建てられたことが書かれてはいるのだが、弁天台場との関係はどうなっているんだろう。

 キトラさんが社務所で聞いてみたらどうかと先に立って社務所で声をかけた。すごい行動力……敬服(^^ゞ。キトラさんが3度声をかけて、中から60代ぐらいかと思われる、愛想のよさそうな方が出て来られた。

 ……それから、30分も、お話を聞いたろうか(汗)。なかなかお話好きな方で、とりとめもなかったけど、いろいろなお話を聞いた。あ、確認はしなかったけど^_^;、おそらくは神主さんだと思う。

 覚えていることをぽつぽつと記す。メモを取る暇もなかったので、うろ覚えである……(^^ゞ。

 安政年間にこの地に移転して、それからは動いていない。箱館戦争の当時は、弁天台場(現・函館どっく)の入り口の前に神社があった。ただ、箱館戦争以降、道路拡張のためにかなり敷地を削られた(代替地は提供されたが、少し離れたところにあって、駐車場にしているそうだ)。

「天保八」の文字が刻まれた石の鳥居 氏神は航海と商売の神で、(昔の?)氏子は福井県や石川県や兵庫県淡路島など、北前船の商人だった。境内の石の鳥居や方角を示す石はその当時に寄進されたもので(天保の文字が入っている)、北前船が海産物を目当てに箱館に来る時に船の「重し」として運ばれたもの(聞いた通りで、本当にそうだったかどうかはわからないが^_^;)。神社は普通北向きではないが、航海の無事を祈るために海を向いた北向きになっている。

 神社の裏手は、今は船見坂の上に移った高龍寺があった。裏手の住宅の地面を掘ると、人骨が出てきたこともある(……ということは、箱館戦争当時は、弁天台場と、箱館病院の分院があった高龍寺は目と鼻の先にあったんでしょうね。焼き討ちされた高龍寺を、弁天台場を守っていた旧幕府軍の人たちは、どんな思いで見ていたのでしょうか……)。嘉永七年寄進された方角石

 神社と寺の周辺は、当時、色街だった(これは、箱館に限ったことではないと思いますが)。今でも残っているかも知れないが、つい最近までは、格子を上に上げる窓がある、色街特有の家が近くにあった。北洋漁業が盛んで函館が栄えていた頃には、外からはそう見えないが、中に入ると豪華で怪しげな色街特有の店があったものだ。

 ……とても全ては覚えきれないが、覚えている限りでは、そんな話を聞いた。長居してしまったお礼を言うと、御神酒と「とろろ昆布」をいただいてしまった^_^;。

 神社を出ると、ものすごい雨。キトラさんが、車内から傘を持って貸してくれた。

佐野専左衛門宅は、この向かい^_^; 後日談込みの話。佐野専左衛門さん宅はこの辺かなと当たりをつけて、近くのダイエーの写真を撮ったりしていたのだが……翌日オープンした函館市立中央図書館で『箱館から函館へ』という本を手に取った。七飯町の歴史館でも見たことがある、箱館の古地図に透明フィルムの現代地図を重ねて位置関係を理解できる優れものの地図なのだが……これによると、佐野さん宅は、ダイエーと通りをはさんだ向かいにあったようだ^_^;。うーん、惜しい。

 キトラさんには、函館駅まで送ってもらった。今回も、ご多忙なところを付き合ってくれてありがとうございますm(_ _)m。


なな絵さん・まきこさんと一本栗地主神社〜大野町郷土資料室


 次は、なな絵さん・まきこさんとの待ち合わせ。まずは待ち合わせ場所のJR桔梗駅に向かう。

 函館駅構内でちょっと休憩して、ホームに入線していた普通列車(地元の人は「汽車」と呼ぶ)に乗り込む。一両編成のディーゼル。車内で時間潰ししていたら、まきこさんが携帯に電話を入れてきた。今日は函館駅から合流するとのこと。

 間もなく、まきこさんが車内に現れた。函館で本日発売の『TV Navi』を買ってきたと、雑誌が入った袋を示す。

 JR桔梗駅で待ち合わせとなったのは、大川村(現・七飯町)の一本栗地主神社に立ち寄るため。拙宅掲示板に飛鳥さんから大川村の戦場についての問い合わせがあり、函館のも〜さんが一本栗地主神社が激戦地だったとお答えしてくれた。午後は大野町方面に行く予定だったので、一本栗地主神社も訪ねようということになった。

 JR桔梗駅には、まきこさんも初めて降りるという。ホームとホームをつなぐコンクリートの階段の脇には、緑青か何か緑色のサビ様の物体が湧いていた(汗)。

 駅舎で、なな絵さんと合流。なな絵さんとは、3月にまきこさんの運転で熊石を訪問して以来の再会。

 まずは、一本栗地元神社へ。
一本栗神社の説明板 『新選組日誌 コンパクト版(下)』明治2年5月8日(新暦6月17日)の項よりご紹介。
「一同八日、衝鋒隊大川村ノ敵陣ヘ夜襲シ、不意ヲ討テ大ニ之ヲ破ル。(中略)(『脱艦日誌』)」
 大川村の地名が出てくるので、この戦いの舞台となった場所ではないかと思う。なお『脱艦日誌』は10月9日付の拙ブログ記事「『野史台 維新史料叢書9』『維新日乗纂輯3』」にてご紹介した通り、『野史台 維新資料叢書9』に収載されている。
 現地の「七飯の一本栗記念保護樹木」という説明板でも「箱館戦争の時、このあたりが激戦地となり、多くの血が流された」という解説があった。

 なな絵さん「前からこの木については知っていたんだけど、白牡丹さんは土方さん関係の史跡にしか興味がないと思っていたので……」
 いえ、土方さん関係だけってことはないですが(汗)、まぁ優先順位がありまして……衝鋒隊の古屋佐久左衛門は箱館病院の高松先生の実兄だし、衝鋒隊結成の経緯も面白い(幕府歩兵隊の一部が脱走したのを追いかけ、古屋佐久左衛門と今井信郎が説得して取りまとめた)し、それなりに関心はありますよ、と脳内で言い訳してました(苦笑)。

霊力のありそうな栗の木 樹齢600年の栗の木は、幹と幹とが絡み合って、根本は周囲5メートルほどもある。かなりの部分が枯死してしまったそうだが、生命のある木として地元の信仰を集めていたことがなるほどと思える。


豚の梅ソースいためご飯 次に大野町に向かい、私たち三人が大贔屓のリーヴズで昼食。毎度のことながら、どのメニューも美味しそう(実際、美味しい)で、それぞれに散々悩みまくる。私は「豚の梅ソースいためごはん」・グラスワイン(白)の後、「ココナッツミルクと白玉だんごの冷たいデザート」・ホットコーヒーを注文。炒めご飯には豚肉と葱が入っている。ほんのり酸味が利いた梅ソースが、炒められたご飯の香ばしさとよくマッチして、美味しい。そしてデザートも、ゴマあんをくるんだ白玉だんご、紅茶味のアイスクリームとココナッツミルクのアイスクリームがアジアン&和風テイスト、美味。ココナッツミルクと白玉だんごの冷たいデザート

 大野町でもいくつか箱館戦争の史跡があるが、今回は雨ということもあり、大野町郷土資料室を訪問することにした。キトラさんに連れて来てもらったことのある白牡丹がナビしたが、周囲をぐるぐると一周する羽目に^_^;……すみません、郷土館がある小学校の入り口を見つけるのに少し時間がかかってしまいましたね。

 資料室の訪問者は私たちだけ。係の方に電灯を点けてもらって見学……そんな状態なので、暖房が利かず、館内はとても寒かった(苦笑)。小部屋のうちひとつの半分くらいを占めている箱館戦争関係の年表や地図や写真パネルなど展示は、大野町関係の記述が詳しく、私の好きな場所のひとつ……同行の皆さんには、ちょっと寒い思いをさせてしまいましたが。

 少し時間に余裕はあったが、空模様も不安定でもあり、一年で昼間が最も短い時期でもあり、無理はしないことにした。最寄りの駅まで送ってもらおうとしたが、次の汽車の便まで2時間近く空いてしまうため、なな絵さんには函館駅近くまで送ってもらった……ありがとうございます、なな絵さん。

 まきこさんと土方歳三最期の地碑にて順番に手を合わせ、いったんお別れ。まきこさんは、体調を見ながら、具合がよければまた連絡するとのこと。


再会、基坂の猫たち!


 私は市電で末広町に出て、基坂へ向かった。猫との遭遇率が高い夕方……さっそく、坂の下で三匹の黒猫に出会う。おばちゃんがカリカリを撒いているところに、群がっていた。大きさから想像するに、8月には仔猫だった連中じゃないかと思う。とても仲良しで、お互いにじゃれ合っていた……か、かわええ〜(^^)。

真っ黒な三匹のうちの一匹 そしてまた、活発でもある。坂の下から旧イギリス領事館側に行くには交通量がある道路を渡らねばならないのだが、青信号で車の流れが停まった隙に二匹が素早く渡っていった。見事なタイミングだったが、一匹取り残されてしまったよ^_^;。

 旧イギリス領事館の手前の駐車場にも、別の黒が一匹。さらに、電柱の陰に、白地に黒茶のブチが一匹。公会堂辺りまで坂を上り、元町をぐるっと回って白牡丹の知っている猫発見スポットをいくつか廻ってみたが、今回はこの5匹だけだった。でも、かつて小さかった猫が成長して元気に生活しているのを見るのは、嬉しいものだ。これからの寒い冬、無事に冬を越して欲しいなぁ……。

 時間に余裕があったので、元町を横切って散策。五島軒の近くの教会で結婚式があったようで、新郎新婦が黒塗りの豪華な外車に乗り込むところだった。参列の皆さんはバス一台に乗り込んで、披露宴会場に移動する模様……お幸せに。


「光の屋台 大門横丁」をハシゴする


 さらに歩き続けて、JR函館駅を通過し、「光の屋台 大門横丁」へ。キトラさんによれば、観光客は3割ぐらいで予想していた以上に地元の人々に支持されているそうだ。

「桜」の刺身、500円は安い まずは、キトラさんのお勧めにしたがって「飲み食い処 桜」へ。5種も盛られた刺身が500円(!)、しかも冷凍ものではない。焼きタラバ蟹は足1本800円。寒いので熱燗1本をつけてもらったが、合計1700円……うーむ、リーズナブル。混んできたので次の店に移ろうと思っていたところに、まきこさんからメール、合流できるとの連絡。

 少食気味な白牡丹は何軒もハシゴできないので、まきこさんをバーで待つことにした。「かなざわ」でマティーニをつくってもらった。生のザクロを搾ってつくるカクテル「グレナディーヌ」が今日のお勧めで、次に入ってきた三人組の客が注文した。ジュースに絞る前に試食に提供された生のザクロの実を初めて味わったとかで、その様子が興味深かった。二人客が出ていって、次に三人組の客が入り、満員に。見知らぬ客同士でも気軽に会話できる雰囲気や店主の金澤さんのソフトな応対が、いい感じ。

 まきこさんと無事に落ち合って、「アジアンキッチン チェーズ」に入る。日本語堪能なミャンマー人のご主人が気さくで陽気。ここは女性客が多い。まきこさんと揚げ春巻き・大根餅を分け合って食べながら、「栗焼酎 ダバダロゼ」を飲む。紫がかったロゼ色の美しいお酒で、口当たりもいい。つい3杯も……しかも「サービス」で最後はダブルよりちょっと多いぐらいだから、4杯行ってしまった(汗)。つまみも美味しいし。そして、締めに注文したココナッツアイスクリームが絶品!絶品ココナッツアイスクリーム

 まきこさんと、横町前でお別れ。今回も、昼から夜まで付き合ってくれて、ありがとうございましたm(_ _)m。

☆★☆★

12月5日追記。「弁天台場の傍にあった厳島神社は、もっと広かったそうだ」でご紹介した佐野専左衛門宅は屋号が万屋《よろずや》、通称「丁サ」です。『新選組史跡事典』を頼りに初めて函館を訪問した時(その16 その2)では、『新選組史跡事典』に書かれた現代の住所、大町2-xx(今は民間のお宅が建っているので詳しい住所は省略しておきます)を訪ねて行ったのですが、今回はも〜さんご提供の明治9年の古地図(出典は『箱館から函館へ-函館古地図再現』冨原章,函館文化会,H10、市立函館図書館蔵)を頼りに行きましたら、だいぶ違う場所にありました。明治2年当時の地図が手元にないので比較検討できないのですが、ひょっとして大町の住所は店があった場所、今回の訪問地は(弁天台場の目と鼻の先でした)佐野千左衛門さんの自宅ということのではないか、と、素人考えですが。


その3へ

表紙に戻る


「玉兎(雑文雑ネタ集)」トップに戻る